『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 伝えてしまうこと

<<   作成日時 : 2007/08/05 21:59   >>

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以前にこんなことがありました。

ある方がお食事の量が減ってきたとのこと。
管理栄養士さんや看護師さん、介護職の人みんなで
どうしたら食べてもらえるだろうと一生懸命考えていました。

でも
よくよく話を聞いた私はまったく違うことを感じたのです。

その方は
好き嫌いで食べないのではなくて
食べようとすると気持ちが悪くなって食べられないとのこと。
水分は飲めるそうですが…
事実、何口か食べたら嘔吐してしまったという記録が何回かありました。
「食べなきゃとは思うけど食べると吐きそうで…」とおっしゃったとのこと。

医師とご家族とで話し合いをもった結果
検査はしない。施設で看取る。と決まったのだそうです。

そしたら
どうしたら食べてもらえるかいろいろと試すのって
今のこの方に適切だろうか?
私はそう感じました。

食べられそうなものを手をかえ、品をかえ、提供する…ということは
どの職員も善かれと思っておこなっていることです。
でも
その「行為」が伝えてしまっていることがある。

それは
「食べなきゃだめよ」
という「職員の思い」です。

言葉に出して言ってるわけじゃないけど
受けとめる側には明確に伝わります。

そう説明したんだけど
わかってもらえなかった…。

病気になったり、死期を前にすると
人は感覚が鋭敏になる。
よく聞く言葉です。

そうでない私でも
プレッシャーを感じる対応だ…と思いました。

その方は
みんなが一生懸命自分のためにやってくれてるんだから
なんとか食べなきゃ…と思ったのではないでしょうか?

でも
ムリして食べなくてもいいじゃん。
水分がはいるんなら、おいしく、気持ちよく飲みたいだけ飲めればいいじゃん。
「なにか食べられそうだと感じたら教えてくださいね。」でいいじゃん。

人生の最後の最後になってまで
他人のために
自分の「感覚」や「感情」を二の次にするなんて…。

私たちが「善かれ」と思ってしていることが
実は、言外に伝えてしまうことがある。

していることそのものは善いことでも
その時その人にとって適切かどうかは別問題。

こういうことって
実はとてもたくさんあるような気がします。














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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
とても久しぶりの書き込みです。今回の記事を読んで、感じたことそれはうまく言葉にできません。でもとても重要なことを伝えていただいたことに感謝しています。私が今、業務の中で一番違和感を感じる言葉、”「過介助」を防いでできることをやっていただく。”そこにご本人の希望があるならば、まだ納得ですが、実際にはスタッフサイドの都合・・・のような気がします。とにかくいつも自分の言葉やおこないを振り返っていると怖くなってしまうこのごろです。
はづき
2007/08/05 22:51
すごい考えさせられる場面ですね。
人間はたしかに栄養とかをとらないと生きられませんが、最後は必ず死がまっています。
その人らしく生きるということは、こちらの都合で生かされるのとは違うのです。
生きる本質を考えさせられました。
自分も気を付けなくてはと思う今日この頃です。
はじめ
2007/08/06 09:20
はづきさん、コメントありがとうございます。

>”「過介助」を防いでできることをやっていただく。”
はい〜!よく聞きますよね。(苦笑)
「できる」ことも、「やりたい」ことも変動するのが人間なのに…。
自立の「援助」じゃなくて
自立「させて」る。

私が感じることは
そう言う当の本人(職員)は
果たして常に自分の100%を出し切って「生活」しているのか?という素朴な疑問です。

自分ができもしないことを
お年寄りに「させる」ことが適切なのだろうか?
という素朴な疑問です。
spersnza
2007/08/06 21:02
>その人らしく生きるということは、こちらの都合で生かされるのとは違う

はじめさん、私もそう感じています。
お年寄りが認知する環境と
環境に働きかけようとするお年寄りの意思と行為とその過程を通して得られる感覚と感情とがひとつのループになって完結すること。
たとえ、どんなに小さかったとしても
お年寄り自身が選択して、受け取ること。

見た目どんなに大きかったとしても、きれいだったとしても、他の誰かに作らされたものは他の誰かのもの。

私たちは「善かれ」と「信じて」
より大きなループ、よりきれいなループを作らせようとして、たとえ小さくてもお年寄り自身が選択したループをうけとめ、感じ取ることそのものを阻害してしまっていることが多々あるのではないかと思うのです。
spersnza
2007/08/06 21:15
当ホーム(GH)にご入居の方に、なかなか受け入れられないスタッフがいます。共通点は相手の仕草や表情から気持ちをくみ取るのが苦手だと思っていましたが、汲み取りより、自分がどうしたいかと感じた事を相手が感じた事と錯覚するようです。(以前は自分がどうしたいかを優先させているのかと思いましたけど)。。本人は気付いていないでしょうね・・その時々に「ほら、顔をみて」などと伝えますが、その場その場の対応は変わるのですが、同じことを繰り返します。良かれと信じている事に疑問を感じるようにアドバイスできていないからでしょう。。

2007/08/06 22:36
>自分がどうしたいかと感じた事を相手が感じた事と錯覚する
こういうことも多いですよね。
対人援助職としての一番の基本なのに、実は卒前の養成過程できちんと学んでいないように感じています。
実習前も実習中も…。
働きだしてしまうと、修正するのが困難なだけに
このあたりは「気をつけなくちゃいけないんだ」と就職前に「体験」する機会があったほうがいいのではないかと考えています。

私が感じる大きな疑問は
とりあえずの知識や技術は教わっても、それらを適切に用いるための「ありかた」や深めていくための「まなびかた」を教わらないし学ぼうとしないので、現在のような状況になってしまっているのではないか…ということです。
spersnza
2007/08/07 21:08

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