『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 立ち上がりの練習 「象徴」

<<   作成日時 : 2007/10/15 20:31   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

立ち上がるという動作が内包する象徴性を考えてみました。

お年寄りや障がいをもつ多くの人が
立つことや歩くことはできても、立ち上がることが困難なことが多いのです。
私たちが疲れたときに「よいしょ」と言って立ち上がることがあったとしても
「よいしょ」と言いながら歩くことはまず少ないのではないでしょうか。

それだけ立ち上がる…ということは困難なことだと思うのです。

立ち上がる…という動作には
自分自身で向かい合う、意思表明…という象徴が含まれていると考えています。

「娼婦ベロニカ」という映画に関する記事を書いたことがあります。
http://yoshiemon.at.webry.info/200509/article_56.html
(記事中では映画の題名が「STAND」としてありますが、これは私の間違いでした。)
終盤、列席した貴族の「立つ」という行為が魔女というレッテルを否定しヒロインの生を認めるという「意思表示」であるという裁判所での採決のシーンで、ヒロインの恋人が叫ぶのです。「STAND!」と。

その他にも炭坑で働く女性労働者が権利を求めて闘うという映画で
(こちらの映画のタイトルが「スタンドアップ」でした)
「立つ」ことが逆境に負けずに闘う主人公への賛成という意思表示を示す
…というシーンが出てきます。
(現在の日本では、反対の状況ですが)

誤解しないでいただきたいことは
立ち上がりという動作ができない人には自律心がないと言っているのではなくて
立ち上がりができないということで、自律心を維持するということに強い意志の力を要する可能性があるかもしれないということ。
立ち上がりをどのように援助するかということが
その人の自律心をどう支えるかということをも意味しているかもしれないということ。

だから、「立ち上がり」の介助は
細心の注意をはらったほうが望ましいのではないか
そう感じているのです。

私たちは常に
その時その場でのその関係性の中で
方法論を選択している
…たとえ自覚的であろうがなかろうが。

表面的な動作の中に
意味される行為は
広く深い













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なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>立ち上がりができないということで、自律心を維持するということに強い意志の力を要する可能性があるかもしれないということ。

ドキッ その様な事気づけていませんでした。

きっと多くの不適切な援助をしてきたのでしょう。。。思えば、がんばって!!って簡単に使いすぎているのでしょう。ご入居者様にも、スッタフにも。
そして、プライベートな関係の中でも・・・
多くの人は、とってもがんばりすぎてる。。。がんばりや自律を求めすぎるってどうなのかしら?

2007/10/15 22:26
利用者の方自身ががんばっているところ
自律しているところを
大切にすることがなおざりにされていて
お年寄りが困難なことに対して
なお「がんばらせる」ことを職員が要求する
…ような風潮があるように感じています。

今できていることでも
いつかはいずれはできなくなってくる日がくるんだから
今できていることをもっと大切にできたらいいのにな…と思うのです。

極端な話、
今日、お元気なお年寄りが明日もお元気でいられるかどうかは、本当にわかりません。
誰だってそうなんだけど
お年寄りにとっては、ずっと身近に切実にそう感じているように思うのです。

成長の過程にある若者にとっての自律と
生命の輝きの最後を迎えているお年寄りにとっての自律は
似て非なるもののように感じています。

spersnza
2007/10/16 20:42

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