『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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<<   作成日時 : 2007/12/03 21:57   >>

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学生の実習指導を担当していると今までどんな指導を受けてきたのか透けてみえるように感じることがあります。

それは「さかさま」になってるということ。

なんのために
学生が実習をするのか

学生が療法士として働けるようになるための体験学習ではないのか

学生の困難を指摘しまくり学生を萎縮させたり
逆に、課題に向き合うことなしに実習を終了させてしまったり

表面的なことがらとしてのあらわれかたは正反対でも
根本は指導者の自己満足、自己防衛という点では同じだと感じています。

…ちょっと話の展開が突飛だったでしょうか?

学生の困難を指摘したり注意したりしまくるような指導者は
結局のところ、なぜ学生がそうなってしまわざるをえないのか
というところが「わかっていない」から指摘に終始してしまうのだと思います。
もしも、学生がそうなってしまう理由がわかれば
そこからどうしたら抜け出せるのかを援助することができるはずです。
つまり、どこかで無意識に自分が「学生の困難の理解」ができないとわかっているから、でもそれはあくまでも無意識だから、現実否認となり、自己防衛的に学生への指摘のみとなってしまうのではないか…と考えています。

反対に
課題さえ提出できればいいよ。経験を重ねれば段々わかってくるよなどと言いながら
学生に困難とその解決を指導できないのも、同じように指導者が「学生の困難の理解」ができていないのだと思います。そのうえ、自分の非力と努力不足をどこかで感じているから学生にも要求できない。学生をかばうようでいて実は自分をかばっているのだと思います。

両者は指導方法という「行動」「態度」は正反対であっても
根本的には自己防衛、自己満足…は同じだと考えています。

学生のための実習なのに…

そしてもっと重要なことは
学生に対して学生本位の指導ができない
という現実は
対象者に対して対象者本位の援助ができない
という現実をも示しているはずなのです。

片手落ちはありえない。
どちらも対人援助なのですから。

指導者の学生への投影という課題はずっと昔から言われてきた。
でも、最近はその言葉すらなりをひそめています。

理由は簡単。
養成校乱立に伴い、どの養成校も実習地確保が大変なんです。
だから、養成校の教員の方々は複雑な思いをしながら
実習地に頭を下げてる。

でも養成校にも課題があると考えています。
いろいろな学生が実習に来るから
実習地訪問で教員の方が来所されたときには
こちらは言葉を選んで説明してる。
つまり、学生の状態をより明確にして説明したいと考えているからなのですが
あっさりと概念をおおまかにくくられ直して受けとめられたりすることがあります。
これじゃあ、養成校で学生の理解ができるはずがないや…と思うこともありました。
つまり、実習指導者が抱えている課題、現状が養成校でも起こっているようです。

学生はできないからこそ、実習に出るんであって、できるんだったら実習なんて必要ないです。
それはどんな学生だってそうです。

できるということはどういうこと?
良い臨床家…ってどういうひと?

たくさんの療法士
たくさんの看護介護職員
たくさんの学生
…と出会ってきました。

…仕事をするうえで一番大切なことは
知識や技術ではありません。
「PLAN-DO-SEE」を実践できるということです。

つまり、対象との対話、自己との対話ができるということです。
















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