|
映画を観に行ったある人の話を聞いて、絶対観たい!と思って観てきました。 1938年の清水宏監督の「按摩と女」の完全カバーだそうです。 詳細はこちらへ。 http://yamano-anata.jp/ ここから先はネタバレです。 最初のシーンが光と影のぼんやりしたカットから始まり 木漏れ日と木の葉が道につくる日陰との明確な像を結びます。 その後、流れる川の映像が続きます。 このシーンを観て 「あぁ、この映画はいい映画に違いない。しっかり観よう」と思いました。 そして、いろいろなエピソードで 目が見えないはずの徳市の 察知する力(徳市に言わせれば「かん」なのだそうですが)の素晴らしさを繰り返し語ります。 それをセリフではなく映像で語るのです。 くすくす笑いたくなるシーン 思わず苦笑いさせられるシーン それらにくるんで人間の「ありよう」を描きだします。 同じ「山」つながりで言えば 「山桜」は俳優さん達の演技や存在感が素晴らしかった。 こちらは監督の演出力が素晴らしかった。 そう感じました。 監督といっても、完全カバーなのですから 私としては清水宏監督のオリジナル作品のほうが観たくなりました。 風景…背景、場面の使い方が自然ででもとても象徴的でした。 そう思っていたら次のコメントを見つけました。 「演技をするな、風景の一部になれ」 清水宏は演技をしたがる俳優をよくそう云って叱ったという。 (http://www.shochiku.co.jp/library/shimizu/index.html) すごい…。 ラスト近くの徳市のセリフ。 「目あきは騙せても、私のこの目は騙せませんよ。」 確かに騙されなかった徳市。 けれどそんな徳市ですら「状況」に騙された。誤解していた。 女自身が語るまでは…。 この映画はすごいです。 おそらく原作が素晴らしいんだと思います。 今回のタイトルは「徳市の恋」となっていますが 描かれているのは恋だけではありません。 人間そのもの…。 この映画の登場人物たちは、皆どこかに孤独を抱えていることが示唆されます。 ささやかな心の交流もありますが (そしてそれらはそれぞれの抱える孤独によってこそ接点となるのですが) 誰もが一歩踏み出せず 心を残して山合いの温泉場を去っていきます。 泣き虫で言葉数の少なかった子供だけが、 最後にお別れの言葉を大きな声ではっきりと伝えます。 真実を「みる」ことの困難さ。 自由で「ある」ことの困難さ。 それらは映画が製作された1938年という時代だけでなく 今日においても何ら変わることがない。 どんな時代においても 顕われ方は異なっても 私たち1人1人に課せられていることなのだということなのでしょうか。 素晴らしい映画でした。 観ることができて良かった…。 Uさん、教えて下さってありがとうございました。 |
| << 前記事(2008/06/20) | トップへ | 後記事(2008/06/22)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/06/20) | トップへ | 後記事(2008/06/22)>> |