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久しぶりに読み返しました。 新潮文庫から、天は西岡常一さん、地は小川三夫さん、人は鵤工舎の若者たちへの聞き書きとして発売されています。 http://www.shinchosha.co.jp/book/119031/ とても読みごたえのある本です。 西岡常一さんの言葉です。 「それもこれも基礎の刃物を研ぐことができんからです。 研げんということは刃物が切れんだけでなく、刃物が切れるということがどんなことかも知りませんのや。 そりゃ、しかたがないですわな。 切れる鉋の刃がどんなものか、切れる鑿の力がどんなものかさえ知らないんですから。 言われたとおり削って、穴を掘って一人前と思っているんでしょうが、何にもわかっておらんということです。 それは形式、形だけでんがな。」 小川三夫さんはこう言います。 「研ぎというのはどこまでやったらいいか、なかなかわからないものだ。 そのときのその人の腕の水準までしかわからんのよ。 これでよかろうと思っても、見る人から見たら何にも研いでないようなもんだ。 未熟な段階ではわからないんだな。」 鵤工舎に新しく入ってきた若者が先輩達に道具を見られ、見せられたときには皆、 「自分はちゃんと研いでいた…と思っていたが、恥ずかしくてたまらなかった。」 と感じたそうです。 大変な世界…。 でも「研ぎ」という対象化できるものがあるということは シビアだけれど、決してマイナスの意味だけではないと思います。 リハの世界でもケアの世界でも、哀しいかな、「研ぎ」に値するような対象化できるものがない。 今、起こっているいろいろなことがらの根っこには、こういう問題もあって 私は若い時にそのことへの自戒をずいぶんと感じていたように思うのですが 最近はそれが年々薄まっていっている…そんな気がします。 覚えなければならない知識の量が圧倒的に増えてきて (ちょうど大工の世界でも便利な機械がどんどん開発されてきたように) 肝心の「前提」が置き去りにされてるような気がします。 |
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