『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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<<   作成日時 : 2008/09/22 22:06   >>

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私がリハから学んだ方法論です。

原因追及→原因改善→状況改善ではなくて
改善後状況共有→状況改善→原因相対的解消がいいのかな…と。

たとえば
こんなことがありました。
ケースカンファ時間の短縮について検討したことがあります。
(詳細はちょっと支障があって書けませんが…)
その時にまず出た意見が「無理」「困難」でしたが
カンファの各階ごとに終了時刻を設定する(デッドラインを決める)という方法に変えて
カンファに要する時間が30分以上短縮されました。
ある人は「こんなにも変わるんですね」と言ったくらいです。

カンファ参加者に質問に対し適切に答える、カンファ参加に必要な準備をしてくる
…などといったカンファ参加者に円滑な運営についての参加意識とその実行がなかったことが
円滑なカンファの遂行を阻害していた原因と思われましたが
そこを具体的に指摘しなくても
各階ごとの持ち時間を具体的に設定することで否応もなく参加者の意識が変わった…のだと思います。

ここでのポイントは
カンファの時間が短縮できる程度には原因が解消されたということで
原因そのものが完全になくなったわけではありません。
けれど、状況は改善されました。

原因追及、原因改善…という方法は、正当のようでいて
実は抵抗を引き起こしたり(「どの程度まで」が不明確であると余計に)
いつの間にか原因改善と状況改善との目的が取り違えられてしまったりして
徒労に終わってしまうことも多いと思います。
対象が人の場合、特に構成員の特性にばらつきがある場合には。

やみくもに筋力強化なんてする必要はありません。
ただ、その人の生活に必要な筋力はないと困ります。
その人が望む生活に必要な筋力を鍛えるのであって
オリンピック選手と同等のトレーニングをする必要はありません。

人の長所、短所は表裏一体でその程度もさまざま。
そんな人同士が関わる状況において、なにか解決すべき課題が生じたときには
原因追及、原因改善ではなくて
まず関わる人同士で「望ましいとする状態像を具体的に共有する」
(案外この部分がおろそかになっていたり、恣意的に運用されているように感じます。)
その状態像を達成するためにはどうしたらいいのかを考える
達成された場合にはその分だけ原因は相対的に解消される
と考えています。












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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
>speranza さん

とても有効な方法ですね!

>まず関わる人同士で「望ましいとする状態像を具体的に共有する」

「具体的」であることわかりやすいことがたいせつなのでしょう。

>(案外この部分がおろそかになっていたり、恣意的に運用されているように感じます。)

「恣意的」な運用とは具体的にどんなものでしょう?
Sparrowhark
2008/09/23 13:25
>Sparrowharkさん
コメントありがとうございます。

>「恣意的」な運用とは
王様や女王様やスパイや忍者が活躍します。
speranza
2008/09/23 22:15
>speranza さん

ありがとうございます!

>王様や女王様やスパイや忍者が活躍します。

まさにそれを私は恐れています!「個人たち」のかわりに「彼ら」が登場するとき「成果」とされるものは…。
Sparrowhark
2008/09/23 22:32
かれらが活躍できる背景には、圧倒的多数の人たちの無自覚の恊働があると考えています。
かれらは「ちからそのもの」を持っていないので本当にどうこうしなければならない時には、王様や女王様は奥にひっこみ、スパイや忍者は身動きがとれません。

ですから、圧倒的多数の人たちの意思によってかれらの存在感を強めることも弱めることもできると思います。

「人たち」になるか「人」たちになるか…

選んでいるのは自分なのに…
選び直せばいいだけなのに…

speranza
2008/09/24 20:44
>speranzaさん
>かれらは「ちからそのもの」を持っていないので本当にどうこうしなければならない時には、王様や女王様は奥にひっこみ、スパイや忍者は身動きがとれません。

わたしはそれほど楽観的にはなれません。絶望しているわけでもありませんが。

「彼ら」は十分な力を持って現場に登場します。もしそうでなければ,六十数年前のこの国の様子はずいぶん違っていたでしょう。

>選んでいるのは自分なのに…
>選び直せばいいだけなのに…

これは具体的にはどのようなことを指すのでしょう?
Sparrowhark
2008/09/24 21:04
>Sparrowharkさん
この記事のテーマが課題解決の方法論としての提案として書いたことなので、私の答えもそれにそって書きました。
私の挙げた例は、私の近辺で起こっていることでもあり、昨今の不祥事への対応でもみうけられるように感じています。
ただし、かれらが圧倒的多数の人たちとの恊働で巨大化することは大いにあると思います。

>具体的には
「人たち」になるか「人」たちになるか…
横一線に手を握り合い、いったん握ったら手を放せない…握り握られの関係性を選ぶのか、1人の人として自分の足で立ちながらも手は複数の人と重ね合わせる…重ね続けるも手を引くも常に選択的な関係性を選ぶのか。
どちらにしても両方同時には選べない。
選んでいるのはいつも自分。
選び直す機会はことあるごとに立ち顕われてくる。
たとえ、どちらを選んでも。
そうやって、いつも問われているように感じています。
speranza
2008/09/24 22:15
Sparrowharkさん、私は六十数年前のこの国のできごとに無関心でいるわけではありません。
でも、「今」起こっていることに私自身が選択的に関わり続けることが何年後かのこの国に起こるかもしれないことと無関係ではないと思います。
今起こる小さなことに対してきちんと選べないなら、いつか起こるかもしれないもっと大きなことに対して選べようはずもないと考えています。
speranza
2008/09/24 22:16
>speranza さん

お答え頂きありがとうございます。

>どちらにしても両方同時には選べない。

意識のレベルではそうだと思います。「課題解決の方法」なので意識的な選択が問題ですから,当然意識レベルの話になるのでしょう。

でも深いところでは人々は「握り握られの関係性」がある…同時に,「1人の人として自分の足で立」つ者も。それらに無自覚であればあるほど「彼ら」ははばをきかせますよね?

「厄介」なケースはそれを無視できないことが多いように思います。

>「今」起こっていることに私自身が選択的に関わり続けることが何年後かのこの国に起こるかもしれないことと無関係ではないと思います。

その通りだと思います。「今」には「六十数年前」も「何年後か」もある。「今起こる小さなこと」がもっとも大切だと感じます。

そして,どうしても一番気になってしまうのは私自身のなかの「六十数年前」そして「彼ら」なのです。
Sparrowhark
2008/09/25 20:11
>深いところでは人々は「握り握られの関係性」がある

Sparrowharkさんのおっしゃったことからズレてしまいますが…
意思はもっと深いところと共鳴している。
その深いところで人は感染するものだと考えています。
どんなに気をつけても感染から免れるのは難しい。でも感染したからこそ抗原として体内に入り抗体を作る可能性も発症してしまう可能性も両方あると思うのです。
私は、抗体をつくろうとすることと同じくらいに、誰もいないときの「場の雰囲気」が発症対策として大切だと感じています。

…というわけで、私はどうしても「今」「起こっていること」が気になるし、そこに引き寄せて「読んだり」「書いたり」してしまいます。

そんな私からのお願いです。
Sparrowharkさんのコメントですが、今ひとつ私の中で明確な像が結べません。
差し支えなければ、お手数ですが、『でも深いところでは〜厄介なケース』のところをもうちょっと補足していただけると助かります。
speranza
2008/09/25 22:52
speranza さん
>でも感染したからこそ抗原として体内に入り抗体を作る可能性も発症してしまう可能性も両方あると思うのです。

そう思います!「感染」は必要なこととしておこるのでしょう。

>誰もいないときの「場の雰囲気」

これはどのようなものでしょうか?

>『でも深いところでは〜厄介なケース』のところをもうちょっと補足して

意識が「今」選択したものからはずれたものや,ずっと昔からあったもの,これから起こるものが深い次元にはちゃんとあって,「厄介」なケースではそれらを自覚する必要があるように思っています。「彼ら」もその一部ではないかと。

それらにはよいものも悪いものも含まれる。たいていのケースではそのことを話題にしないほうがよいことも多い。自覚の必要は意識が決定できるものではなく,それぞれのケースのプロセスが決定している。

そして「厄介」なケースでは「握り握られの関係性」と「1人の人として自分の足で立」つことを同時に生きなければならないこともあるように感じていたのです…。
Sparrowhark
2008/09/26 18:50
Sparrowharkさん、ご説明ありがとうございます。
よくわかりました。
素朴な疑問なのですが、深い次元にあるものをどうしたら自覚することができるのでしょう?
私には深い次元にあるものをそのままそこであるままに自覚する方法論が思いつきません。
今の私にできることといったら、浮かび上がってきたものを自覚できるように明敏であろうと努めるくらいです。
speranza
2008/09/26 22:20
>誰もいないときの「場の雰囲気」

私たちの行為は「場」を選んで行われます。表現の仕方を変えれば、私たちの行為は「場」に影響されているということでもあります。(野菜を洗う時は台所で洗っても浴室では洗わない。)
「場」の雰囲気が感じの良いものなら、感じの悪いことはしにくいものです。
それは、過去と未来の双方向においてそうなのだと思うのです。「今」に「過去」も「未来」も同時にあるのだから。

「その場」にいた人のありよう、「その場」で起こったことは、まさしくその「場」に記憶される。
「その場」でかつて奏でられた音楽の音を今聞くことができないからといって、音楽が奏でられなかったということにはならない。(蛇足ですが、私は音は空中に消えるのではなく溶けるのだと思っています)
現実に起こったことはなかったことには決してならない。
speranza
2008/09/26 22:21
「感染」は逆バージョンもありですよね。
この場合にだって「抵抗」も「成熟」も両方の可能性がありえます。
私たちの行為が「場」に影響される…つまり「感染」は人と人の間だけではなくて人と場の間にも起こりうる。
そしてそれは二重の意味で私たちに影響を与える。プラスマイナスどちらにも。

だからこそ「場の雰囲気」は大切だと感じています。人がいるときには人にごまかされてしまいますから、誰もいないときの「場」が「その場」だと思います。
本当においしいお料理は誰が食べてもおいしい。
本当に感じの良い場は誰にとっても感じの良い場だと思うのです。

私の言うことは、きっと能天気な理想論でしかも実現には気の遠くなるような時間ばかりかかることだとは思っています。でも、今の私にとっては日々の小さなことを手を抜かずあきらめず実行しつづけるための必要十分条件なのです。
speranza
2008/09/26 22:23
speranza さん
>深い次元にあるものをどうしたら自覚することができるのでしょう?

自分や身の回りの人の病気,身の回りのトラブル,夢,直接は自分に「関係のない」事件・事故・犯罪,テロ,戦争…それらが手がかりになると思っています…。

>「場」の雰囲気

「誰もいない」けど「誰もがいる」「場」ということですね?

>私の言うことは、きっと能天気な理想論でしかも実現には気の遠くなるような時間ばかりかかることだとは思っています。

そんなことはないように思います!私の方がはてしなく「時間」の「かかる」「理想論」かも知れません…。
Sparrowhawk
2008/09/27 23:29
私はそれらは「浮かび上がってきたもの」としてとらえています。
精神医学のもうひとつの貢献だと言われています。

>「誰もいない」けど「誰もがいる」「場」ということですね?
はい。

トップダウンで考える…そして実行する。
たぶんこの方法論は古来からたくさんの人たちが実践してきた方法論でもあると思います。
誤解されやすく利用されやすい…けれど時を超え場所を超えて受け継ぎ受け継がれていく方法論だと感じています。
speranza
2008/09/28 21:49
>speranza さん
>トップダウン

「トップ」は「誰でもない」のですね?
Sparrowhawk
2008/09/29 07:11
>Sparrowhawkさん

おっしゃるとおりです。
そして、もうひとりの「わたし」たち。
speranza
2008/09/29 20:22
>speranza さん
>そして、もうひとりの「わたし」たち。

了解しました!ありがとうございます。
Sparrowhawk
2008/09/29 21:19
こちらこそです。
ありがとうございました!
speranza
2008/09/30 21:36

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