『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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<<   作成日時 : 2008/11/04 21:27   >>

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根本的にまちがえていたのだと感じています。

「脳卒中のリハ」
「認知症のリハ」
「大腿骨頚部骨折術後のリハ」

大多数の人がこんなふうに養成過程で教わってきたと思う。

でも、本当はそうじゃない。

「脳卒中後遺症をもつ人のリハ」
「認知症をもつ人のリハ」
「大腿骨頚部骨折術後の人のリハ」
なんだと思う。

身体はその人の暮らしと無関係ではあり得ない。
その人そのものなんだもの。

リハをマイナスの修正と捉えるからこそ
そう捉えた時点で
「その人」の「暮らし」からも
「その人自身」からも
切り離されてしまったのだと思う。

その後は
よくあるとおりにまっしぐら。

そして
まるで補償するかのように
言葉使いだけは丁寧…ってか?











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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
 脳卒中をおこした人の後遺症は様々ですね。
 そして患者はリハビリで元に戻りたいと願うものです。
 だとすれば、患者に合った・患者の希望するリハビリを指導するのがリハビリ専門医や療法士の任務ではないかと考えています。

 通り一遍のリハビリで、「時間が来ました」では、回復は見込めないように思います。もちろん患者に自分で努力する意欲がなければ効果も上がらないと思います。

 私の麻痺手が補助として使えるようになったとき、「全く動かなかったのに、ここまで動くようになった」と評価する人がいました。でもこれでは両手を使うことが出来ません。

 このときに「日常生活で両手を使うのが一番のリハビリ」と言うことを作業療法士さんに聞きました。

 それ以来両手を使うように努力しました。病室・廊下・洗面所・トイレ・浴場等です。退院してもしかりです。今では日常生活ではほとんど両手が使えます。作業療法士さんに感謝しています。

 テーマからはずれたかもしれません。ごめんなさい。
マサおじさん
2008/11/05 11:48
実はそれは分かっていることなのですが、現時点の教育自体が疾患に行きがちなのです。
そして実習の病院もいつのまにか人間教育では
なく、疾患の細かい部分をみることに行きがち。。そしてエビデンスなどはもっと疾患に行きがち。。
もちろん何故そのことが起こっているかは片麻痺では脳科学の部分でも分かって来ていることがあるので、治療体系としては認知運動療法などの今までにないアプローチの仕方がでてきていますが、特に理学療法の方に限ってみれば(私が理学療法士なのでその点からみると)
関節可動域、筋力などの外部的な部分が多いかもしれません。
学校は国家試験合格率をあげる教育や、教育学
をしらない臨床家が教育の現場にいる、実習も
どのように実習を行うか分からなく、教育機関が増えてきて、2〜3年目の若い療法士がバイザーとして行っている等。。その若い療法士は
自分が実習生に受けた方法で行っている。(レポートと課題が以上に多く感じた経験の人は実習生の能力を見ないで同じようにして精神的に追い込む傾向があるみたいです)このような状態が今の状態なのではないでしょうか?
はじめ
2008/11/05 17:23
マサおじさん、コメントありがとうございます。

>患者に合った・患者の希望するリハビリを指導するのがリハビリ専門医や療法士の任務
おっしゃるとおりだと思います。
そして、リハビリは新しい脳の回路を作ることなのだから、患者さんには自分で努力していただかなければ絶対に回路を作ることはできないのです。私たちにできるのは指導であり援助でしかありません。
この意味がわかっていない療法士が残念ながらたくさんいます。

そして必死さゆえにがむしゃらにがんばりすぎてしまう患者さんもいらっしゃいます。だからこそ、療法士は「今」「どうがんばったらいいのか」「どうがんばってはいけないのか」を明確に伝えるのが重要な仕事だと考えています。それも言葉でベラベラしゃべるだけでなく実際に具体的に伝え、適切に実行できているのかどうかを確認しなければ「本当のところ」はわからないものです。
この部分をきちんと実践している療法士も残念ながらまた少ないのです。
speranza
2008/11/05 21:15
そのうえでさらに療法士がすべきことがたくさんあるのに…。

私は本当にすばらしいPTもOTも知っています。私なんて足下にも及ばない…。そして、私が知らないだけですばらしい実践を重ねている療法士だってきっとたくさんいるに違いありません。

もしも、自分だったら信頼できる人に担当してほしいです。口先療法士も通り一遍療法士もイヤです。

その言葉を飲み込んでいる患者さん、利用者さんがどんなに多いことか…。
speranza
2008/11/05 21:16
はじめさん、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおりの状態が現に起こっていて、しかもそれらが拡大再生産されている…そのことに私は非常に大きな危惧を抱いています。

疾患の細かな評価もいいですが、結局「私はこれだけ見てる」ということになってしまうと感じています。そして疾患を細分化できた評価のあげくにおこなわれている実践が何なのか…。

実習も混沌とした状況ですよね。
学生にきちんと「評価」を「学ばせる」ことができないバイザーがたくさんいますよね。
できないのは仕方ないと思うのです。ですが、できるようにと努力しない人がこんなにも多いのはなぜでしょう?患者さんや利用者さんや学生に努力を要求するのに何故自分は努力しないで平気でいられるのでしょうか?レポートや課題を出しまくったり、かと思うと「経験すればそのうちわかるよ」と何も教えなかったり…
なぜ、対象者(患者さん、利用者さん、学生)の利益を考えるところから始めないのでしょうか?
speranza
2008/11/05 22:27
学生時代には、私も「治療」と習ってきましたが、私たちは本当に「治療」できるのでしょうか?
そういう幻想を抱き続ける限り、「リハ=治療可能」ゆえに「治療困難=対象外」とするような流れ…そして「治療者」というイメージにからめとられてしまうような流れ…つまり、「復権」「名誉回復」であるはずの「Rehabilitation」の場において「療法士による抑圧(父性的にも母性的にも)」がおきてしまっているという現実は変えられないように感じています。

speranza
2008/11/05 22:28
speranzaさん
本当にそうですね。
医師もまだまだ、治すことに目が向きすぎて
死=負けみたいに考えている人がおおいのでは
ないのでしょうか?
人間は死から逃れられません。
しかし、障害を負った人が生きていく。
その人がその人らしく生きるためには何が必要か?
そのことが前提にないような気がします。
そして療法士を目指す人(理学療法士についてですが)動機づけは周り、もしくは自分がリハビリを受けた人が多いのですが、治ることを前提に考えている人が多いですね。
厚労省も結局、効果があるかないか(治るか治らないか)の尺度でデータを提出させている部分が多いのでしょう。
ただ少しづつでも、<「復権」「名誉回復」であるはずの「Rehabilitation」>を考えて行きたいです。微力でもこれからそのようになって
いくはず。。昭和40年に法律ができてまだそれほど歴史は浅いのですから、これからだと思います。悲観はしないで進んで行きたいです。
はじめ
2008/11/06 18:41
もしも、私たちが適切な援助ができるとしたら
(治療と呼ばれなくても、効果がないと言われようとも、目の前にいる人に助かった…と感じてもらえることをするほうが先だと思うのです。例えば、どんなにすばらしいリハをしてても利用者さんの杖先ゴムがすり減っているのを放置してるってどういうこと?って思ってしまうのです。そして私は片手落ちはあり得ないと考えるタイプなのです。)
それは、たくさんの名もない先人たちの努力のおかげだと思うのです。だからといって、知識と技術に使われてしまうのもおかしいと思うのです。

>悲観はしないで進んで行きたい
そうですね。利用者さんに「あきらめるな」って言ってるんだから…(苦笑)がんばらないと!ですよね。
speranza
2008/11/06 21:14
杖など道具の適切な知識と実践。
杖の高さ一つ、手すりの位置一つでも変わりますね。
それも適切な指導者が少ないような。
医師でもそうですが、療法士も包括的なリハビリテーションができなくなっている部分もあります。
装具一つでもフィッティングなどが見られなかったり、本当にやるべき事ができていない。
道具は便利になっていますが使うのは人間。。
そして過ちを犯すのも人間。
失敗は絶対しないとはいいませんが、失敗を生かすことが一番大事かなと。
先人からの歴史は失敗のもとにできている部分もありますから。
学生に関しては過剰に失敗を恐れて、悪い方向
にのみ想像力が働いて萎縮する場面がよく見られます。
とにかく研鑽をつんでいきたいと思います。
はじめ
2008/11/06 22:34
>学生に関しては過剰に失敗を恐れて
よくわかります。
そして学生が恐れるのは、利用者さんの不利益のために恐れるのではなくてバイザーからの叱責を恐れる、という…。
利用者さんの方を向いた実習を経験しなければ、たとえ療法士になれたとしても、結局は他の誰かを向いた仕事をすることになってしまいます。

>失敗を生かすことが一番大事
そう考えています。
どうしたらいいんでしょうか…。
結局、私が思いつくことでできることといったら、いつも泥くさい方法論です。
まずは、自分が関わる「場」で最善を尽くすこと。そこで広がる「輪」を大切にすること。
何か他に良い方法論はないものでしょうか。
…焦るな、焦るな、地道にでも着実に…と言い聞かせている毎日です。
speranza
2008/11/07 21:30
>そして学生が恐れるのは、利用者さんの不利益のために恐れるのではなくてバイザーからの叱責を恐れる
そうですね。本当に患者をみるのではなく、自分を見ている人、バイザーを見ている人。まさにコミュニケーション能力の欠如が頻繁に起きます。果たして学生に問題があるのか、バイザーに問題があるのか?教育に問題があるのか?
今の現代社会に問題があるのか?
自己を見つめる作業が特に必要に思います。
患者の方を向くということはすべて自己の鏡となっています。認知運動療法の先生の言葉に
「リハビリテーションに奇跡はない、しかし進歩はある」とあります。
speranzaさんの場の力は私は賛成です。
少しずつでも進んでいく。自分の感性を大事に
なさって頂ければと思います。
たとえ生きている間にそれがかなわなくても確実に変化は現れる。
それが歴史であると思うからです。
>…焦るな、焦るな、地道にでも着実に…と言い聞かせている毎日です。
本当にそのとおりですね。患者さん、利用者さんにも伝わらないようにしたいものです。
私もその言葉を胸に体調を整えている毎日です。

はじめ
2008/11/07 22:25
>患者の方を向くということはすべて自己の鏡となっています。
おっしゃる通りだと思います。

ここ神奈川でも最近は17時を過ぎるとまっくらになり、空気もひんやりしてきます。
どうぞお身体お大切に…。
speranza
2008/11/08 20:58

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