『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS MottainaiとRehabilitation

<<   作成日時 : 2008/11/06 21:23   >>

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もったいない&リハビリテーション

「もったいない」って言葉が英語に訳せないから
そのまま「Mottainai」として使われてるそうです。

訳せない…つまりピッタリくる言葉がない。
概念にないってこと…。

前に「しょうがない」ってある人に話したら
首をかしげながら「英語にはそういう言葉はない」って言われたこともあったっけ。

「Rehabilitation」も、だから「リハビリテーション」?










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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
 なるほど「Rehabilitation」を日本語の短い言葉に訳せないから「リハビリテーション」とか「リハビリ」と言うのですね。すると「リハビリテーション」とは何でしょうか。

 私が救急病院のICUで目が開いたときに担当医の言葉を聞きました。「命は助かった安心しなさい。あとはリハビリを頑張ってください」と。

 そのときに思いました。『リハビリとは事故で歩けなくなった人の訓練では無いのか、何故私がリハビリを』と。しかし考え直しました『脳の病気でもリハビリを頑張れば元に戻れるのだ』と。
 この思いは、倒れてから5年経つ今も続いています。

 退院してから「リハビリテーション」の意味を調べましたがよく分かりません。
マサおじさん
2008/11/07 12:25
 私が今も考えている「リハビリテーション」とは、『治療や訓練によって、身体的・精神的にもと通り健康な状態に回復すること』です。

 この考えがセラピストさんの指導を素直に受け入れて訓練に励むことが出来ました。そのことが改善を速め、回復を進ませたのではないかと思うのです。

 私の考えは「Rehabilitation」の真の意味とはほど遠いのでしょうか。
マサおじさん
2008/11/07 12:27
マサおじさん、コメントありがとうございます。

マサおじさんが『治療や訓練によって、身体的・精神的にもと通り健康な状態に回復すること』として、訓練に励み、改善を速め、回復を進めてこられたのだから、この言葉はまぎれもなくマサおじさんを支えてきた言葉なんだと思います。そして、もと通りに回復されて本当に良かった…と思います。

けれど、大変失礼ながら「元に戻る」ということが「リハビリテーション」の真の意味ではないと考えています。本来でしたら、ある言葉がある人にとっての真実であれば他の人間が口を出す…出せるはずもないと考えています。ですが、マサおじさんにとっての「リハビリテーション」という言葉には、マサおじさんのたくさんの体験と記憶と思いが込められているように、私にとってもそれは同じなのです。
私がどう働くか…今もリハビリに励んでいる人にどう伝えるか…後輩にどう伝えていくか。大げさに思われるかもしれませんが、それらは私の生き方に関わる問題でもあるので、今の私の考えを正直に書きます。どうぞご理解くださいますよう…お願いします。
speranza
2008/11/07 23:22
いわゆる「リハビリ」が対象とするのは、生まれつき障がいをもったお子さんであったり、リウマチやパーキンソンなどの慢性の病気をもつ人だったり、進行性の難病を抱える人であったり、心の病を抱える人、傷つけられた人、そして認知症をもつお年寄り、もちろん怪我をした人や脳卒中後遺症をもつ人もふくめてさまざまな人を対象としています。なかには、どうしても、もと通りにはなれない場合もたくさんあるのです。

医学の進歩によって、かつては救えなかった命が救えるようになったと同時に新たな困難にも直面するようにもなりました。かつての不治の病が治療可能になったと同時に別の新たな病気が発見されたという事態は現在進行形で続いています。つまり、いつの時代でも治らない病気と障がいは存在する…ということになってしまっています。
そして、そういう人たちにも「リハビリテーション」は必要です。

じゃあ、いったい「Rehabilitation」とは何なのでしょう?
speranza
2008/11/07 23:22
語源はラテン語の「Re」「Habilis」…再び、適するというのはどこかの記事に書きました。
そして原義は「復権」「名誉回復」なのです。
教科書的には「人間らしく生きる権利の回復」「生活、人生の向上を最重要視する」とされていますが、
私の言葉で言えば「より自分らしく『ある』ことへ変わっていくこと、その援助」だと考えています。

「人は異なる気づきのレベルに同時に存在する」この言葉は私にとって大切な言葉ですが、心身の障がいにより、危機に直面するのは表面的な「動作」の喪失や困難だけではなくて、その「固有の体験」に他ならない。通常、私たちは無自覚にそれらを享受しているから意識にのぼらないだけで。そう考えています。
speranza
2008/11/07 23:25
「自分の足で立つ」「自分の足で歩く」ということは、表面にみえる事実としてはもちろん、実際に足でその場に立つというその「場との関わり」(場に関わり…場に関わられ…)という体験としても、そして象徴的に「生きる」体験としても大切だと思うのです。だからこそ、みんな切実に「自分の足で立って歩けるようになりたい」と強く強く願うのではないでしょうか。

だとするならば、私たちはその人の「歩き方」という表面的な動作に関わるだけではなくて、「Aさんが歩く」という体験にも関わることになります。同時に「Aさんとして生きる」ということにも関わってしまうことにもなるのだと考えています。
speranza
2008/11/07 23:26
「Rehabilitation=機能回復訓練」にはとどまらない。
ですが、そういうことが現実的に起こるのだということに対して、悲しいことながら当の療法士自身の認識不足があります。そして当然のことながら患者さんなら誰だって「治るものならば治ってほしい。もと通りになりたい。」という要請からくる期待があります。
両者あいまっての「Rehabilitation=機能回復訓練」という国民的誤解についての危惧を既に表明している人もいますし、私もそう感じています。
speranza
2008/11/07 23:38
蛇足ながら、どうも日本人は表面に走る…そのかわりがんばるけれど…傾向があるようにも感じています。過去の記事にも書きましたが、初等教育での「挨拶は元気に」「みんな仲良く」と「あなたはあなたのままでいい」という違い。「結婚は本人同士のものだけじゃなくて家と家との関係」と「結婚はふたりの感情、身体、精神を調和させること」という違い。「静かにしなさい」と「Be quiet」という違い。だから、「Rehabilitation」の語源、原義が意訳できないのかな…と感じたりもします。もしも私たちに表面的な対応と内的体験の統合が苦手という側面があるとしたなら…「Rehabilitation」という言葉が「リハビリテーション」であるのもわかるような気がします。

それにしても「Rehabilitation」とは時間がかかるもののようです。ガリレオの「Rehabilitation」には350年以上もの年月を要しました。ニュースで知ったときには本当に驚きました。
speranza
2008/11/07 23:39
マサおじさん、長くなってしまい読みづらくなってしまってすみませんが、私の真意をおくみとりいただけたらうれしく思います。

ふたたび蛇足ながら…私は利用者の方にはその方が望むならば「あきらめないで」と言い続けています。私個人の知識と技術の不足を、その努力不足を他のものにすりかえることのないように(本当に優秀な人には決してかなわないからこそ)せめて自覚的であるように努力しています。
speranza
2008/11/07 23:53
 独り善がりの解釈を書き込み、済みませんでした。私も、いわゆる「リハビリ」が対象とするのは、脳血管障害の人だけでないのは承知しています。だから「元に戻る」ということが「リハビリテーション」の真の意味ではないことも理解していたつもりです。そして「Rehabilitation」の原義は「復権」・「名誉回復」であることも。ご丁寧な説明に感謝いたします。良く理解できました。
 健手の訓練で、片手でも日常生活に復帰出来れば、素晴らしいことです。しかし本当は麻痺手がある程度動くようになり、完全ではなくても何とか両手が使えるようになる方が遙かに素晴らしいと思うのです。この思いが強すぎたコメントでした。どうも済みませんでした。
マサおじさん
2008/11/08 10:31
マサおじさん、どうぞ謝らないでください。
謝らなければならないようなことは、何もおっしゃっていないと思います。
マサおじさんが真摯なコメントを書き込んでくださったおかげで私も正直に書くことができました。
マサおじさんは、書かずにはいられなかっただけだと感じています。
そして本当に謝るべきは、マサおじさんが書かずにはいられなかった背景にいる人たちだと思うのです。もちろん、素晴らしい療法士だってたくさんいることと思いますが…。

知識と技術の不足は、知識と技術によって補われるべきですりかえられていいものとは思えません。
ましてや「障害受容しなさい」と説得にかかる関係者は、その言動によって自らが障害受容の何たるかを何も知らないということをも露呈しているということにすら無自覚だという現実があります…。
speranza
2008/11/08 20:42
>完全ではなくても何とか両手が使えるようになる方が遙かに素晴らしい
そう思います。
それは当たり前の思いで、誰だって(もしも私がその立場になればやっぱりそう思うと思います)そう思うのではないでしょうか。

私たちのほうが、その思いをもっとしっかりとうけとめなければならない…うけとめすぎることなんてない…と感じました。
ありがとうございました。
speranza
2008/11/08 20:43
たとえ、元には戻らなかったとしても別の素晴らしさに気がつく可能性もあると思います。
でも、そうだとしても元に戻るということの素晴らしさと別の素晴らしさとはそれこそ「別」のことであり、同時に根っこの部分では同じことでもあるように感じます。

他の障がいをもつ方も、だからこそ、マサおじさんの思いを誤解することなくわかってくださるのではないでしょうか。

私がこのコメントを遅れて書いたように、やっぱりわかっていないのは私たちなんだと反省しました。
speranza
2008/11/09 06:30

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