『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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<<   作成日時 : 2009/07/02 21:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 1

現在のリハやケアの…もしかしたらそれだけにとどまらないかもしれないとも感じます。

私たちは無自覚に
「正しい姿勢」
「あるべきありかた」
というモデル…とでもいうようなものを想定しています。

そして
現在の誰かを
その「正しい想定」から「マイナス」として捉えて
現状を修正、矯正させようとしているのではないでしょうか。

たとえば…
正しい立ち上がり方
正しい歩き方

そんなものが本当にあるのでしょうか?
(いわゆる「正常歩行」にだっていろいろなパターンがあります
 身近な人の歩き方をよく観れば1人1人違うことに気がつくはずです)

かたちとはたらき

私たちは、かたち(例えば、立ち上がり方、歩き方)をみて
そのかたちに投影されているはたらきを
引き算でしか、みていない
ことのほうが多いのではないでしょうか

ここが悪い
ここができていない
だから、足りないところを補おうと筋力強化する(苦笑)
だから、痛いと言っているのに関節可動域訓練をする(苦笑)

でも、これってICIDHの考え方でICFの考え方ではない…ですよね?

たとえ、いわゆるアブノーマルなかたちであったとしても
そのかたちに投影されているのは
アブノーマルであったとしても
「できる」というその人自身の能力です。

かたちにははたらきが投影される
そのようなやりかたでしかできない…という困難と
同時に
そのようなやりかたではあるけれどできる…という能力と
表裏一体になって投影されています。

その人自身に立脚して
その人自身のその時その場の困難も能力もみるのではなくて
あるべき「立ち上がり方」
あるべき「歩き方」
を「基準にして」引き算でその人自身の状態をみている。

もしも
考え方の基本点をそこにおいたとしたら
「半年たてば回復しない」というふうに言い切ることができると思います。
そして、そう考えるのだとしたら「実際」そのとおりかもしれません。

本当の問題は
「半年たてば回復する」という常識の正誤ではなくて
そのような考え方の基礎となっている考え方そのものについて
議論が為されていない
議題とすら認識されていない
そういうところにあるのではないでしょうか。

リハビリによって
脳の「かたち」を変えることはできませんが
脳の「はたらき」を変えることはできます。
(ジル・ボルト・テイラーは、同じ脳だけれど配線が違う…
 だから、現在の私は過去の私とは違う…という表現をしています)

でも
このことは、脳卒中後遺症をもつ方に限った話でしょうか?

Re-habilis…再び適する
この言葉は常にどんな人にもいつでも起こりうることではないでしょうか。
(だとしたら、「維持期」なんて言葉はあり得ない)

Rehabilitationのもう1つの意味の名誉回復
これは当人ではなくて周囲の人の脳の回路(配線)変更のことですよね?

Rehabilitationは
当事者だけでなくて
当事者の周囲にも起こることなのではないでしょうか。

もう一方の当事者たる私たちにこそ
要求されていることなのではないでしょうか。

リハだけでなくてケアの場でも
そしてきっとそれ以外の多くの場でも
「あるべき像」を暗黙のうちに規定して
そこから「引き算」で「名前をつけて」
見えている「かたち」だけを「修正」しようとする

バブルは去ったけれど
私たちが因って立つ足下は
本当に強固な量的向上論。
本当に本当に強固な強固な「あるべき像」の「複製」論。

It's OK to be who you are
あなたはあなたのままでいい

これはオーストラリアの小学校1年生が最初に教わることなのだそうです。
日本の小学校1年生が最初に教わることって標語ですよね?
「みんなで仲良くしましょう」「挨拶は元気にしましょう」とか…

「静かにしましょう」
に該当する英語って
「Be quiet」であって「Do quiet」ではないんですよね。
「静かになりましょう」「静かでありましょう」とは言いませんよね。

言葉というのは文化そのもの、思考回路そのものだから
本当に私たちそのものに染み付いているんだと思う。

あんまり論理的でない、曖昧…そんなふうに言われる日本語を使っている私たちは
察する…Non-Verbal Communicationに秀でているとも言われています。

空気を読めない…って人をKYって名づけるけれど(苦笑)
これもよく考えるとヘンなハナシで
「空気を読んで従う」どころか
「空気を読んで従って当たり前」っていう暗黙の前提がある(苦笑)
その場の空気が本当に適切なのかどうかの議論もなく(苦笑)

私たちは目には見えない足枷をたくさんつけていて
あまりにもたくさん最初からついているから
足枷の存在そのものを感じることができなくなってしまっているのかもしれない。

でも
そんな私たちだからこそ足枷に気がつける可能性があって
(多くの困難はあるにせよ)
足枷のない状態を明確に「する」ことができるのかもしれない。
ICFを言語化「した」のは日本人だもの。

私たち1人1人が
リハビリではなくて
RehabilitationをRehabilitationとして
具現化「する」ことができるかもしれない。


例えば…
全然違う、でも卑近な例えで言えば…
手ぬぐいをいろいろな用途に使い回したり
1つの部屋を食事の場にも団らんの場にも寝る場にも使い回したり
固有のかたちを全く異なる用途に使い回す…ということは「なじんでいた」ことでしょう?



 
うまく言えない…というか
私が伝えたかったことが適切に伝わるように表現できたかどうか自信がない…。

それでも投げかけないでいるよりは
誰かが受け取ってくれることを信じて

暴投したボールかもしれないけれど
それでもちゃんとグローブにおさめてくれる人がいることを信じて












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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ブログを拝見しフッと感じたことがありましたので、勝手にコメントをさせていただいております。

観音像を彫ったひとってすごいと思いませんか?
観音さんの表情や仕草(姿勢)はどう決めたのでしょうか?

皆それぞれの心の中に自分の観音さのイメージを持っているでしょうが、いざ実際に形にするとなると至難のこととなりますよね。

それに、これが、観音像です。って彫ってみても観音さんっぽさはあるとしても、皆にとっては自分のイメージとは異なるか、何となく物足りないように感じてしまうのではないでしょうか?

物事には正解というものはないと思います。
1+1ですら2ではないのではないか?3でもいいのではないかと思うのですが、それじゃ世の中道理が成り立ちません。だから2にすることは正解ではなく決まりなのではないでしょうか?

それにしても、観音像をみに90万人もひとは集まる・・・
やはり、皆は何かを求めているのでしょうか・・・?
・・・失礼しました
やぶからぼー
2009/07/06 13:57

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