『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 道具の身体化ー杖や歩行器、装具と身体の関係

<<   作成日時 : 2009/09/02 22:24   >>

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案外、曖昧なままになっているように感じています。

いえ、曖昧なことが悪いんじゃなくて
曖昧だと自覚せずに、曖昧にしておくことが良くないんじゃないかと思うのです。

量的向上…たとえば
杖歩行から杖なし歩行へ、装具歩行から装具なし歩行へ
というような変化は誰の目にも「変わった」ということが明らかです。
ご本人にとってもご家族にとっても療法士にとっても
杖なしで歩いてみよう、装具なしで歩いてみよう
という目標は意欲をかきたてるものでもあると思います。

でも、問題は相手が痙性だということです。
脳卒中の代表的な後遺症として麻痺が残りますが
動かない、動きにくい…というだけではなくて硬くなりやすい…という課題があります。
身体は動くけれどつっぱって困る…というある方は
ご自身の身体を「動くけれど使えない」とおっしゃっていました。

そのような状態で
量的向上だけを目的として装具をはずしてみよう、杖をはずしてみよう
…と挑戦する一方だとお身体が硬くなってしまうことも往々にしてあります。
挑戦するのは悪いことではありません。
装具なしでも歩ける、杖なしでも歩ける…というのは
やはり、その方ご自身の能力だと思います。
どうしたって難しい場合だってありますから。
それを思えば、とにかく「できる」というのはすごいことです。

けれど、そもそも、なにか理由があって装具を作ったり、杖をついたりしていたのです。
そして、使っていた期間が長ければ長いほど
道具は身体化しています。
(このことは、1つ前の記事やその記事の中で紹介した別の記事で説明しています)

そもそもの理由が改善された…つまり、身体のはたらきが向上した…のならば
何も装具や杖を使う必要はなくなったといえるでしょう。
けれど、そうでないならば
身体のはたらきが今までと変わらないのに
身体の一部としての装具や杖をはずしてしまったらどうなるでしょうか?

できる、できないでいえば
当面は、装具や杖なしでも「歩ける」でしょう。
でも、その歩き方…つまり単にどう歩くか…ということではなくて
「身体のはたらき」が「投影された動き」としての「歩き方」

(良い姿勢は、姿勢が良いのではなくて
 身体のはたらきの良さが投影されて良い姿勢となってあらわれる)

をきちんと確認する必要があるのではないでしょうか。

ちょっと前に
「発症から10年近くたっても良くも悪くもなる」
http://yoshiemon.at.webry.info/200908/article_16.html
という記事を書きました。

痛みは、後から現れるものです。
だから、ご本人にはわかりにくいのです。
杖なしで歩けてよかった!
装具なしで歩けてよかった!
もちろん、できないよりできたほうがいいことです。
ですが、身体の硬さや動きのスムーズさ、姿勢の変化などをよく確認していただきたいと思います。

前ふりが相当長くなっていて恐縮です。
ここで、本題の道具の身体化ということについて書きます
(ようやく、ですみません…)

杖を使って歩く…ということは
極端に言うと、3本足で歩く…ということです。
杖を使うことで重心の基底面が広くなり、動きの中で身体を支えやすくなります。
安定性、動的バランスを「身体そのもののはたらき」として高めるリハビリを追求するのではなくて
まずは、杖に、安定性、動的バランスという役割を果たしてもらった結果として
身体と杖の総体として歩いている…ということなのです。
逆に言えば、ただ単に杖で歩くというだけの練習では
どんなに長距離歩けても、長時間歩けても
安定性、動的バランスという身体そのもののはたらきは良くなりようがありません。

同じようなことがお年寄りとシルバーカーや歩行器の関係でもいえると思います。
車輪のついたシルバーカーや歩行器を使えば
よりかかれるので身体を支えるはたらきを補ってもらえます。
と同時によりかかるということが前方への推進力にもなります。
「立っていられない」というお年寄りは案外多いものです。
シルバーカーや歩行器とお年寄りの身体との総体として歩ける…ということなので
シルバーカーや歩行器を使うことで
お年寄りの「歩行能力」が上がった、自立度が上がった…というのは、
ちょっと誤解を招く表現だと思います。
確かに以前に比べて道具を使うことで「歩きやすくなった」ということは事実でしょう。
でも、それは
「身体のはたらきが高まった」結果、歩きやすくなったわけではなくて
「身体のはたらきを補った」結果、歩きやすくなったわけです。

装具と身体との関係も同様です。
装具で「身体のはたらきを補って」歩いている。
装具だけをとったら、装具が果たしていた身体のはたらきがなくなった分歩きにくくなります。
装具をはずしたら、
装具が果たしていた身体のはたらきを高める練習をするか
装具が果たしていた身体のはたらきの分をプラスαとしてよけいにがんばった身体のはたらきを
ねぎらうこと(リラクゼーションなど)をするか
という選択肢が生じてくると思います。

道具を使うということは何であれ身体化するものです。
(さもなければ道具としての意味がない。)

道具を使うことで
(身体のはたらきを補うことで)
総体としての能力を高めた身体ということは
逆から言えば、
道具なしでは
(身体のはたらきを補わなければ)
身体は総体としての能力を低下させる
つまり、
道具に頼っているだけでは
道具+身体の総体としてのはたらきは高くても
身体単独のはたらきは高まらない

だから
道具をはずす…ということは
結果として身体のはたらきが高くなったことを示す
…とも言えそうなのですが、そこがなんとも一概には言えないところだと思います。

たとえ、良かれとしてであったとしても
身体化した道具をはずす時には
ただ単に道具をはずすだけではなくて
道具が果たしていた役割をどうするか…という問題がつきまといます。
もしも、ただ単に道具(杖やシルバーカーや歩行器や装具…)を外しただけで
何の問題も生じずうまくいったとしたら
それは、そもそも道具が必要ではなかった…ということを意味することになってしまいます。
けれど、現実にはこの部分が曖昧になったまま…ということが多いのではないでしょうか。

じゃあなぜ曖昧になっているのか
そしてなぜ曖昧だという自覚がはたらきにくいのか
それは次の記事で考えてみたいと思います。











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