『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 曖昧になっている理由

<<   作成日時 : 2009/09/04 22:37   >>

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前の記事の続きです。

身体能力と歩行補助具の関係性について
曖昧になっているのに曖昧だという自覚がない理由は
たくさんあるように感じています。

1番大きな理由は、「今」何を優先とするのか
ということと
次善の策として、第一優先からはずしたことへの対応をどうするのか
ということを明確にしていないからだと考えています。

たとえば
杖だけでは歩きにくい…という人がいたとして
じゃあ、どうするかという課題に対して
どういうふうに歩きにくいのかというところを確認します
(これは大抵の人がやってると思うけど)
どういうふうに歩けているのかというところを確認します
(こういう見方をする人は非常に少ないと思う)
そして、杖だけでは歩きにくい…という状況のなりたち(原因ではなくて)を推論します。

大雑把にいって
選択肢は、杖だけでももっと歩けるようにリハビリをするか
もしくは、杖ではないものを使って歩きやすくするか(例えば4点杖、歩行器)
という方向性があると思います。

前者は、当面の安全性、実用性よりも身体のはたらきの向上を図ることを優先とし
後者は、身体のはたらきの向上よりも当面の安全性、実用性を図ることを優先としています。

どちらを優先としても、他方への配慮は欠かせません。
前者の場合なら、身体のはたらきが向上するまでの間の安全性や実用性についてはどうするのか
後者の場合なら、安全性、実用性は対応できても身体能力そのものが低下してしまう可能性もあります。

優先順位と次善の対応の区別
身体のはたらきを上げるのか、
道具を使って総体としての身体能力を上げるのか
自分が「今」何の為に何をやっているのか
ごっちゃになっていたり、片手落ちだったり…そういうことがすごく多いように感じています。

私たちの仕事は、現実的に具体的に役に立つ…そういうことが求められているのに
より良い対応のための評価…ではなくて評価のための評価になってしまっていることが
すごく多いように感じています。
(このことについては、別の記事に書きます)

そして
1番根本的な理由は
「Aということをやった」=良い結果が出るはず
「Aということをどうやったか…という自分のやりかた」についての振り返りがなされにくい
ということです。
良い結果が出なかったときには、
「どのようにAをやったか…という自分のやりかた」ではなく
「Aという方法そのもの」を不適切と「判断」する人が本当にとてもとても多いんです。

何回も書いていますが
あぁすればこうなる、ボタンの押し方が悪かった…などと考える人はいない
そういう問題です。
(これもまた,別の記事に書きます)













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