『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本近世の起源

<<   作成日時 : 2009/10/01 21:20   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

渡辺京二 洋泉社MC新書 

http://www.yosensha.co.jp/search/?search_menu=keyword&search_word=%93%FA%96%7B%8B%DF%90%A2%82%CC%8BN%8C%B9&x=0&y=0

ヘビーな内容ですが、著者の言うとおり
確かに読了への努力は報われました。
この本を読んでよかった…
今まで何にも知らなかった…
いや、知っていることは知っていたけれども
表面的に知っていたことをナイーブにもそのまま信じていました。

「逝きし世の面影」で江戸に生きた人々のありようを描き
こちらで戦国乱世を生きた人々のありようを描いている

農民といえど
事起これば戦闘者でもあった
戦場は彼らにとっての稼ぎ場でもあった
農民は単なる被害者ではなくて能動的に参加した加害者でもあったのだと
略奪や焼き討ちだけでなく
人身捕獲、人身売買や輸出までも当たり前のようにおこなわれていた
まさに血で血を洗うような下克上の世界は
武士だけのものではなくて
農民にとってもそうだったのだと…

集団に属さなければ人として生きていけず
集団の利益を守るために
行動を以て激しく主張しなければ
集団の成員が生きていくことができなかった

長い時代を経て
合戦よりも裁定…を選ぶ
ということに関する合意とでもいう雰囲気が潜在していたのだろうか
だとすれば、それは著者の言うとおり
1人や2人の英雄ではなく
多くの地下人たちの複合する容貌としてのあらわれなのだと思う…

なんということ…

乱世の時代に形成された集団が
その後のシステムとして徳川の時代の平安の基礎にもなっている

歴史とは本当に生きているものなのだと思った
それは、1つには、史実を解釈する人によりさまざまな幻像が立ち現れるということと
もう1つは、過去の上に積み重なっていくものなのだということ

誰かが言っていたように
時間というのは、流れるものではなくて降り積もるものなのだ…と
そう思いました。

あらわれかたは違っても
今は中世の戦国時代に似ているのかもしれません。

バブルの時代の後
家族や親類縁者の機能も弱まり
隣近所の地域の機能も弱まり
西洋のような確固とした自我確立のトレーニングも為されずに
唱えられる「自助自立」とは
戦国の世の集団自力救済の集団がなくなったようなもの

消費文化の中で育った私たちが礎となって
次に生み出されてくるシステムとはどんなものなのだろう…?

消費文化はもう行き詰まっていると思う
景気拡大といっても
生活するための道具はすべてもう揃っている
些細な目先のモデルチェンジで購買意欲を煽ろうとしたって
もう十分なのだと…便利すぎて使えない…機能を使いこなせない…
そういう声ってたくさんあるように感じています。
新たなターゲットがエコなのだろうけど
エコという名の消費文化は本末転倒でしょう?
国家予算はもう大赤字なんだもの
お金が儲かれば帳消しになるから頑張ってお金使って…なんてヘンだと思う。

縄文の人たちは
自分たちが食べる木の実を食べ尽くしたりせずに
後世のために木を植えてきた

消費文化を甘受してきた私たちが
後世に残せるものってなんなのだろう…?

この時代を経たからこそ
生まれてくることができる時代ってどんな時代なんだろう…?











テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
日本近世の起源 『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる