『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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<<   作成日時 : 2010/03/29 21:07   >>

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このような本を読むとすごくインスパイアされます。

本質を追求しているからです。

「表の体育 裏の体育」
甲野善紀 著
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=4-569-66149-1

初版が1986年だそうですが
内容は現在でも十分最先端の提言として通用します。
(つまりは、それぐらいヤバイということかもしれませんが…)

人間の身体や古の武術についての
ものすごい研究の積み重ねが行間からにじみ出ています。

かつて
この日本に身体の使い方、はたらきについての
こんなにも精妙な実践が為されていた

それらをどうして失ってしまったのだろう

河合隼雄が
人間の思考、生き方について
西洋の合理主義と東洋の哲学の共存を提案したように
身体においても
西洋の科学的といわれる見方だけではない見方を要請されているのではないでしょうか。

この本の78pに

「粗雑な感覚で稽古を強制させる」ことの問題として
心理的意欲を枯渇させるばかりではなく、体の感覚が納得しないまま無理を強いられることが多いため、体に故障を起こしやすく、または無理を無理と感じない、鈍った体にしてしまうのである。

とあります。

似たようなことは
現在のリハビリや自主トレにおいても
起こってしまっていることのように感じています。

著者はこうも言っています。(301p)

「本質的体育とは、それを実践研究していれば、自ら“人間存在の意味”といったことにまで思いが及んでくる。」というのが私の持論である。つまり、「本質的体育とは、その人の生きる根本的な姿勢(思想とも言える)を決するものだ」ということである。
「表と裏をつなぐ」という大作業は、決して事を急いで安易な妥協点をみつけたり、取引的な折衷はすべきではないだろう。

奇しくも
河合隼雄も洋と和の共存については命がけの仕事だと言っています。

私たちは否応もなく
そういう時代にいるのだと
身も引き締まる思いがします。

何をどんふうにするか
…ということは、決して枝葉の方法論としてではなくて
その根底の、どのように考えているか
ということの、ひとつの顕われなのだと感じています。
何をどんふうにするか
…ということは、どのように考えるのかという姿勢、思想そのものを
問いただすことに他ならない

立ち上がりひとつとっても
その練習において
どんなふうに考えているのか
ということが顕われてしまう

それは
わかる人にはわかるし
わからない人にはわからない
そして
わかる人にとっても
それは何回もわかりなおす

そういう体験なのだと思います。

Re-Habilisという体験だけでなくて
人が人として生きるということはそういう体験なのではないでしょうか

この本に書かれていることは
とてつもなく広く深い












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