『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 本を読むということは

<<   作成日時 : 2010/04/18 20:50   >>

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なにかを学ぶと同時に自らを知るということ

語るということは
自らをさらすということ

村上春樹は、なにかを「語る」ということにおいて
自らに深くその責任を負っている。
その潔さとみじろぎのない彼の姿勢に感服し尊敬します。

ネットがたくさんの人の生活に浸透している現在
ブログやツイッターで
いとも簡単に自分の「好きなように」「好きなことを」語れるようになっているけれど
いったい、どれだけの人がそのことを感じ、考えているのだろう?
そう思うこともよくあります。

たとえば
私がこのウェブログで書いたことを
まるで自分が考えたかのように言ったり書いたりする人もいます。
でも、ちゃんと話を聞いたり書いてあることを読んでみると
その人が単にいいとこどりをしていることはバレバレです。
その人は表面的にはいいとこどりしているつもりでも
あるいは無自覚であったとしても
深いところで自らを損なっていることに気がついていない

たとえば
意見表明するということは
内容はもちろん、自分の理解力や表現力や思考特性や意識のありかたをも開示するということでもあります。

たとえば
なにかを語るということが、語った本人自身に作用しないわけがない。

村上春樹やアーシュラ・K・ル=グウィンが
現実の生活を丁寧に大切にしておられるということは
ものすごいことだと感じます。

語るという行為の中で厳しく鍛錬されてきたのだと思う

語るという行為そのものが鍛錬を要求するけれど
誰もがみな実践できるわけでもなければしようとするわけでもない。

そのように向き合う人だけに可能な行為なのだと思う

M・ポランニーの「暗黙知の次元」という本の中に次のような一文があります。
『私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。
 そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480088161/

読み方次第で受け取るものも変わる
その人がどんなふうに読むか…ということが
その人がどんなふうに在るかということと無関係であるはずがない

「1Q84」は
1Q84年を必死になって生きようとした青豆が
「空気さなぎ」をマニュアルのように読み込んだように
現在を必死になって生きようとする人々にとって
支えとなるものがたりなのだと思う
私たちみんなへの応援メッセージなのだと思う
http://www.shinchosha.co.jp/book/353425/










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