『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 認知症をもつお年寄りの楽しみについて

<<   作成日時 : 2010/10/10 13:12   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 4

これは本当に難しいことだと感じています。

その理由としては
お年寄りが「できる」ことが少なくなってくる…ということがまず挙げられると思います。

たいていの場合、手指の協調性は低下しているし
それに輪をかけて、環境や対象の認知が低下してしています。

さらには
当のお年寄り自身
幼少の頃から、「はたらく」人生を過ごしてきていると
今、急に「ものごとを楽しむ」と言われても
ほんとうに理解できないのかもしれません。

かつては
この国においても
今日を生きる、生き延びる、生き残る
ただ、それだけしか考えられなかった時代があったのです。
(今も昔とは違うかたちで、そうなりつつありますが)

もっと根本的には
日々、喪失体験を繰り返し感じるお年寄りにとって
「楽しむ」ということの意味合いが
私たちとは違っているかもしれないということが挙げられます。

私たちは
「楽しみがある=いいこと」という図式を疑っていませんが
日々、喪失体験を積み重ね
日々、死を身近に感じる
お年寄りにとって、その図式が成立するかどうかは
お年寄り個々人によっても
同じお年寄りであったとしてもその時々で
異なることのように感じています。

「老いの孤独 死を願った母」
http://yoshiemon.at.webry.info/201008/article_25.html
という記事にも書きましたが
楽しいことをしよう…という誘いかけが
当のお年寄りにとって
痛切な孤独感を感じさせてしまうようにも思います。

現に記事中のフミ子さんは
「そんなことを言わずに楽しいことをしよう」
「歌を歌おう」
と言われたそうです。
そのたびに孤独感を深めていった…と。
亡くなられた後
枕元から「死にたい」「死にたい」というメモがたくさん見つかったと…。

ご家族は
介護保険で身体的なケアは対処されても
精神的なケアは対処されていないのでは
と言っておられます。

認知症をもつ方は
気持ちや考えを言語表出することが困難になったからといって
辛さや困惑を感じていないわけではありません。
そのことは当事者のクリスティーン・ブライデンさんが明言しています。

楽しむ…ということは
誰にとってのNeedなのか…ということを
常に肝に銘じておかなかればならないと感じています。

できることをして楽しむ

一見正当そうに見えるこの言葉の中には
実は
若くて未熟な職員の
不安や怖れの逆転移や
中年を迎えた職員や家族の
自らの老いへの不安や怖れの逆転移といった
職員の側の無自覚なNeedが本当のNeedだという可能性だってあります。

お年寄りを楽しませなくては…

そのような強迫観念のような気持ちを抱いているとしたら…
現にそのように「謳っている」ケアの提唱者は決して少なくありませんが…

私は基本的に
良いことをするより
悪いことをしないように
そうありたいと考える人間です。

そして
ケアやリハの方法論が以前よりずっと増えてきている最近
ますます、自分の考え方のほうが
実は適切なのではないか
…と感じることが多いのです。

そのことを十分に踏まえた上で
お年寄りが楽しめることを考えていくのなら
それはお年寄りにとってマイナスにはならないだろう
少なくとも
マイナスを感じた時点でそっと引き下がることができるだろう
そのように感じています。

お年寄りが抱える困難は
「何にもできなくなっちゃった」
「何にもわからなくなっちゃった」
「誰にもどうにもしてもらえない」
痛切な困難です。

そのことを知ったうえで
どうするか…ということだと思うのです。

それはとても困難なワザですが…

もっと突っ込んだ言い方をすると
そういう言葉をお年寄りから直接聞いたことがないという人は
お年寄りが諦めているのだと思います。
朝日新聞の記事のフミ子さんのように…

この人には
私の本心は言えない

そして
思いの丈をメモに書き綴るしかない…










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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
老健勤務のOT2年目、TKSと言います。
いつも拝見させていただいています。
スプーンのグリップの記事を参考にさせていただきました。試作として、食事中に利用者様に使ってもらっています。指にフィットして、滑り止めの効果もあるみたいです。

今回の記事は老健に勤めている私にとっては、重いです。
楽しみをどうやって提供するか。
生活歴や性格が様々で、楽しむという思い・考えも様々です。
私達の自己満足にならないようにとしていますが、利用者様はどのように感じているのでしょうか…?
本音は隠そう、言わないでおこうとする環境・教育の中で
育った方が多いので、難しいとは思います。

私個人としては、かゆい所に手が届くような存在になりたいと思っています。
OTはよく便利屋だと思われることがあり、賛否両論あると思いますが、私はよいと思います。
オールマイティにこなせる仕事がOTではないか?
などと最近、考えています。
TKS
2010/10/10 14:26
TKSさん、コメントありがとうございます。

大切なことは
私たちが「楽しみを提供」しようとする前に、もっとたくさん「しなければならない」ことがあるのではないか…ということなんです。

そして
お年寄りは言っても大丈夫…と感じた人には、本当にさまざまなことをお話してくれるものです。
言葉にならないもうひとつの言葉でも雄弁に語るものです。
それはどんなに重度の認知症をもつ方でも…。

対人援助職と呼ばれる人がひとりでも多く、お年寄りの声を
聴き取ろうとしてくださるようになることを願っています。
speranza
2010/10/10 22:00
久し振りのコメントになってしまいましたが…「良いことをする」に心を占められがちなのを省みさせられました。
「マイナスを感じた時点でそっと引き下が」れるようにしているか、あらためて自問しつつ取り組んでいこうと思います。
また、お年寄りの「言葉」「声」をもっともっと聴き取れるようになりたいです。
("ナイス"ブログ玉の心は…"しみじみ"でした。)
iki-iki
2010/10/10 22:48
iki-ikiさん、お久しぶりのコメントとしみじみ玉、どうもありがとうございます (^^)

お年寄りにどうこう「させる」ために知識や技術があるのではなくて、知識や技術があるほうがお年寄りの声にならない声をも聴き取りやすくなる…ということだと思うのです。

私ももっと聴き取れるようになりたい…。
speranza
2010/10/11 21:47

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