『 Buon Giorno!』 作業療法士Sより…

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zoom RSS 「書く」ことと「考える」こと

<<   作成日時 : 2011/10/30 08:59   >>

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両者は密接に相互に関係している

記録する…ということは
思考の現状をオモテに出す…ということでもある

だから
記録には、その人の能力と困難と特性が顕われる

学生の実習レポートには
学生のその時の能力と困難と特性が顕われる

だから、レポートが書けないというのは
書けないんじゃなくて
わかってないんだよね

それなのに
単に書けるように表面的に指導するだけでは効果がないと思う。

昨今、臨床実習で
レポート作成は学内で…という動きも目立っています。
書くことよりも、もっと貴重なコトがあるって。

確かにそういう面もある。
でも、どうなんだろう?

貴重な体験なんて、臨床に出ればヤマほど遭遇する

対人援助職を養成する…という観点に立てば
大切なことは
自らの在り方、態度を涵養する
自分が曖昧な理解しかできていないことを痛切に感じ努力するきっかけとして体験する
その時の努力の方向性を具体的に現実的に体験する

指導者がいるという安全な保護された環境の中で
試行錯誤という体験学習ができることだと思う

つまり、専門職としての在りようの体験学習

臨床実習でしかできない
臨床実習だからこそできる

そういうコトこそを提供することが大事だと思う

どんな職種でも
どんな職場でも
ピンキリがあるように

対人援助職も人さまざま
でも、こんな奴らには担当してもらいたくない
と心底思った人たちもいます(^^;

共通しているのは思慮の浅さ

もちろん、経験年数によって変わる部分もあると思うけど
当てはめることを考えることと勘違いしている人も決して少なくない

書く機会が圧倒的に減っているのも要因の1つだと思う

効率を求めて
介護保険分野でソフト屋さんが
「現場の要請に応えて」
予め設定された目標や日々の実施記録をクリックして選択するだけで記録が完了したり

学生の負担を減らすために
レポート指導は学内で教員がおこなうとか

だけど
レポートでつまづいたことこそ
わかってないから指導すべきことであって
臨床実習でレポートを書かせる意義は
レポートを書くという過程を通して思考を深めることにあるのに

学校帰ってからじゃ
申し訳ないけど
教員は対象者のことを知らないし
実際に「何が起こっていたのか」もわからない

ますます、レポートがレポートを仕上げるサギョウになってしまう
という懸念を抱いています。

私たちの時代は
PCはもちろんワープロもなかったから
レポートは手書きで修正液は禁止だった

「書く」ことの後段としての
丁寧に書く、間違えずに書く…という部分に
時間とエネルギーを使わざるを得なかった

PCを使うことが当たり前になり
「書く」ことの後段には
ほとんど時間とエネルギーを使わずに済むようになり
「書く」ことの前段としての
「考える」ことに
時間とエネルギーを集中できるようになったはずなのに

私たちは
自らの実践という行為を
便利な機会に外部化させた

それは良くも悪くも

得られた時間とエネルギーをどう扱うかによっている

ただラクをするために怠惰になるか
あるいは成長と成熟を深化させるか

安全で便利な暮らしは
両刃の剣

そう思う









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